「夏の思い出」
「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」
ルカによる福音書2章52節
園長 塚本吉興
皆さんにとって、夏の思い出と言えば何でしょうか。私の父は転勤族だったので、数年ごとに東京近辺と大阪近辺を引越しで行き来していましたが、お盆には必ずと言って良いほど、熊本の祖父母の家に帰省していました。今はなきブルートレインの寝台で寝ている間に熊本に到着。車中飲んだ粒入りのみかんジュースの味、早朝に祖父と採りに行ったカブトムシを探す心のドキドキ、市営プールで遊んでいる時に見つけたカエルを姉に向かって投げた時の悲鳴、有明海で海水浴をした後に入ったお風呂での体のヒリヒリ、親戚が集まって大宴会をして、従姉妹たちがノリノリで「ユゥフォー」と踊るのを見ていた不思議さ(我が家にはテレビが無かった…)、など忘れがたい夏休みの思い出がたくさんあります。誰にでも、そんな子どもの頃の出来事、高校生の時の淡い恋、大学時代や大人になってからの旅行やイベントなど、色々と夏の思い出があるのではないかと思います。
「モノより思い出」と言うことがあります。モノはどれだけ欲しかったとしても、買ってしまえば、別のモノが欲しくなったりしますし、いつかはなくなってしまいます。でも、思い出は心の中にいつまでも鮮やかに残るのです。そして、子どもたちの心に残るのは、時に高いプレゼントや高級ホテルでの食事ではなく、何でもないもの、家族で一緒に交わした会話や一緒に笑った出来事であったりします。うちの子どもたちが5歳と2歳の時、祖父母が奮発してディズニーランドへ連れて行ってくれました。その時、子どもたちの心に一番残ったのは…ビッグサンダーマウンテンでも、エレクトリカルパレードでもなく、帰りに買ってもらったミッキーとドナルドのヘリウム風船でした。その夜は、ディズニー・アンバサダー・ホテルで風船の紐を持ったまま、二人とも眠りについたのです。
子どもたちは日々成長しています。今は大変でも、そんな時期はあっという間に過ぎ去って、小学生、中学生と大きくなっていき、自立していきます。その過程において、親の責任は重大です。でも、子どもたちの健やかな成長に欠かすことができないのは、そのときに共にいてくれる、子どもたちを心から愛する親の存在なのです。どんなモノよりも、どんな特別な体験よりも、そばにいて一緒に笑っていてくれる親がいてこそ、自分のことを見ていてくれる家族がいてこそ、子どもは安心して、笑って、遊んで、そこから素敵な思いでを紡いでいくことができるのです。
神さまは私たちに子どもという宝物を与えてくださいました。マリアとヨセフにとって、幼子イエスはまさに神の賜物でした。そして、その成長は彼らの心の喜びでした。たとえ、大きくなったイエスが人々に憎まれ、十字架につけられると分かっていても、いや、分かっていたからこそ、我が子イエスと過ごす一日一日の時が大切で愛おしいものとなったのでしょう。
先日、幼稚園の保護者の方向けに、メディアと子どもの脳の発達についての講演がありました。そこで、最後に「最も大切なこと」として挙げられていたのは、「自尊感情を高めること」でした。自分を愛することは、親が子どもを無条件に深く愛することによって育まれます。そして、それは、子どもも親も神さまの深い愛を受けていることを知ることによって始まるのです。