「かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は、幸いである。』」
(ヨハネによる福音書20章29節)
園長 塚本 吉興
幼稚園の一年が始まり、あっという間に5月です。「桜咲く4月、こいのぼり5月・・・♪」と歌っているうちに園庭の木々は眩しいばかりの新緑に染まり、気持ちの良いそよ風に泳ぐ鯉のぼりの下には真っ赤なサクランボが子どもたちとカラスたちのことを待っています。(いつもなら鯉の季節で、広島カープの快進撃について「園だより」にも書いているところですが、今年は・・・カープって何でしたっけ・・・(泣)。)子どもたちは毎日、たくさん遊んで、たくさん歌って、たくさん走り回って、たくさん汗をかいて、たくさんお話をして・・・本当に楽しく過ごしています。子どもたちの笑顔や何かに一所懸命になっている姿を見ることはとっても嬉しいことです。
園庭で園長らしく手を後ろ手に組んで立っていると、「園長先生、はい、これ!」と子どもが何かをくれようとすることがあります。握った小さな手の中にあるのは、ダンゴムシなのか、ドングリなのか、石ころなのか、ドキドキしながら手を差し出すと、手の中には何もない。すると、その子はニコニコしながら、何も言わずにブランコの方に走り去ってしまいます。その子がくれたのは優しさの実なのか、喜びの種なのか・・・大人は「?」ですが、子どもには見えているのです。
養巴幼稚園では、キリスト教保育を行っています。それは、暗記中心の宗教教育や、戒律で縛る保育というのではなく、端的に言うならば、「子どもが神さまに愛されたかけがえのない存在として感謝と愛の心を持つことを目指す保育」です。キリスト教保育連盟の定義では、「子ども一人ひとりが神によっていのちを与えられたものとして、イエス・キリストを通して示される神の愛と恵みのもとで育てられ、今の時を喜びと感謝をもって生き、そのことによって生涯にわたる生き方の基礎を培い、共に生きる社会と世界をつくる自律的な人間として育つために、保育者が、イエス・キリストとの交わりに支えられて共に行う意図的、継続的、反省的な働きである。」とされています。ここで大切なことは、神さまは目に見えないということです。幼稚園や教会にある十字架も神の御子イエスの犠牲を示すものであって、十字架を拝むわけではありません。でも、「イエスさまは、いつもいっしょさ〜♪」と子どもたちと歌うとき、本当にイエスさまはわたしたちと一緒にいてくださる安心に心を満たされているのです。
トマスというイエスさまの弟子の一人は復活を信じることができませんでした。でも、そんなトマスの不信仰にイエスさまは、ご自分の姿を示され、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われました。信じる者となったトマスは、イエスさまの福音を宣べ伝える人となり、イスラエルの地から遠くインドに宣教師として渡ったと言われています。サン=テグジュペリの『星の王子さま」に「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」という有名なセリフがあります。愛、喜び、悲しみ、優しさ・・・目に見えないものはたくさんあります。でも、それらは子どもたちの成長にとって、欠かすことができないものなのです。