「AIしてるより、アイシテル」
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。
そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
(ルカによる福音書11章9節)
園長 塚本吉興
最近のニュースでは、AIについて聞くことが多い気がします。そして、身近なところでも、ChatGPTに何でも聞くということがあります。高校生だけでなく、大人も「うちのチャッピーがねぇ…」なんて話をしているのを聞いて、驚きます。技術の進化は目覚ましく、恐ろしいスピードで進んでいきます。数年後には、AIが人類を滅ぼすのではないか、ということが冗談や空想でなく語られる時代になってきました。それでも、私もあちこちの会議で書記を任されるときなど、AIによる議事録の作成は欠かすことができなくなっていますし、我が家のリビングに鎮座しているアレクサさんには、「今日の天気は?」とか、「〇〇の歌を流して」という風に時々お世話になっています。AIとの共存は、映画「トイストーリー5」でも描かれましたが、これからの世界は一体どんな風になっていくのか、不安と期待が入り混じった思いがあります。
個人的には、今のAIはちょっと人間に媚びるところがあって、あまり好きではありません。もちろんアルゴリズム的には、YouTubeなどでもそうですが、できるだけ利用者の関心を切らせないように、興味がありそうなものを次々に流すということがあります。ですから、AIにもできるだけ使っている人間をいい気分にさせようという明確な設計意図があるのでしょう。先日、打ち間違いの文章を検索したところ、「独創的な表現ですね。」と検索トップに上がってきた「AIによる概要」に褒められました。明らかな打ち間違いなのに、褒めてくる。ちょっと怖いというのか、そりゃあずっとチャッピーと会話していたら、普通の人間と会話しているより心地よくなるというのか、こちらが聞きたいことを聞かせてくれるモノというのはどうなんだろう…と考えさせられました。
聖書は「求めなさい。そうすれば、与えられる。」というイエスさまの言葉を記しています。でも、ここで注意したいのは、イエスさまは決して、強く願えば、欲しいものが与えられると言われたのではないことです。「お金持ちになりたい!」と強く願い、祈れば、そうなるよ、というのではない。むしろ、イエスさまは、求める人が本当に必要なもの、神の御心によって、自分で知らなかったような最善のものが与えられる、と言われるのです。「ある無名兵士の詩」というものがあります。「大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと弱さを授かった。偉大なことができるように健康を求めたのに、より良きことをするようにと、病気を賜った。・・・求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。わたしはあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。」神は、私たちがその瞬間には、恵みと考えることができないようなことも与えられます。でも、そこにも神の愛が流れているのです。 AIがどれだけ進化しても、決して失われることのないものが愛です。神の愛、夫婦の愛、親子の愛。それは、時には苦言を言ったり、注意したり、理不尽なこともある。しかし、それが人間だけが表しうる愛なのです。【この園だよりはAIによって生成されました。】なんて日が近い将来やってくるでしょう。でも、愛は決して失われることがないのです。