「こどもといっしょに旅をする」
「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
ヘロデが死ぬまでそこにいた。」 (マタイによる福音書2章13-15節)
園長 塚本 吉興
クリスマスのページェント(聖誕劇)では、羊飼いたちに次いで、3人の博士たちがやって来て、生まれた幼子イエスを拝みます。それでクリスマスの物語は終わりに思えますが、聖書はその次に起きた出来事についても記しています。嫉妬と猜疑心に駆られたヘロデ王が、生まれたばかりのイエスを殺そうとするのです。天使は夢でヨセフに現れて、エジプトに逃げるように伝えます。ヨセフとマリアは1歳くらいのイエスを連れて、エジプトまで旅をすることになりました。ヨセフとマリアの旅と言うと、まだイエスが生まれる前、ナザレの村からベツレヘムまで臨月のマリアがロバの背に乗って旅をしたことを思い起こします。その距離は150キロほとです。それでも、十分大変な旅であったのですが、エジプトまでは400キロはあります。幼子を連れて、1ヶ月ほどかかる長旅を強いられたのです。妊娠中の旅も困難ですが、1歳の子を連れた旅も容易なものではなかったはずです。
我が家の次男が1歳半の時、アメリカに里帰りしました。成田空港からシカゴまでユナイテッド航空の12時間のフライトです。4歳の長男はおとなしくしていましたが、次男は気圧の変化で耳が痛かったのか、離陸してすぐに泣き始めました。そして、水平飛行に移ってからも、座席の足元に横になってギャン泣き状態でした。3人席に4人で座っていたので、たまらず、アメリカ人の客室乗務員に「空いている席はありませんか?」と尋ねると、おそらく私のことを父親だとは思わず、たまたま二人の幼い子を連れて大変な思いをしている母親の横に座っていた無神経な日本人と思われたのか、プレミアムエコノミーの席に案内してくれました。これ幸いと、その席に移ったのですが、当然、妻を二人の子どもと残しておくわけにはいかず、長男だけ引き取って残りのフライトは快適に過ごしました。次男も泣き疲れて、ようやく落ち着いて眠りにつきましたが、わたしが長男と座っているのを見て、事情を理解したCAさんたちの「何てひどい父親かしら!」というあきれた視線が、今でも思い起こされます。
最近、ちらっと見た記事に「インドでは子どもに非常に寛容で、飛行機の中やレストランで子どもがどれだけ騒いでも、誰も気にも留めない」とありました。それは、社会全体に「子は宝」という意識があるからであり、日本のように「あなたが選んで産んだんだから、静かにさせておくのは親の責任」という考えが全くないからなのだそうです。日本は「他人に迷惑をかけない」ということが至上命題ですし、イメージではインドは人と人との距離が近く、大人も子ども騒音に慣れているということもありそうですが、日本ももっと子どもや子連れに寛容な社会であるといいな、とは思います。
ヨセフとマリアが幼子イエスを連れてエジプトに旅をしたのは、その子の命を守るためでしたが、わたしたちが子どもを連れて旅をするのは、今しかできない経験を共にするためです。過去に里子として預かっていた子どもと一緒に広島県のスキー場に雪遊びに行ったことがあります。片道4時間を日帰りの強行軍でしたが、初めて見た雪。その子は、手にとって触るだけでなく、地面に口をつけて「冷たい!」と満面の笑顔で言いました。そんな光景を見るためなら400キロも遠くないかなと思います。