待つことの喜び
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。」
(コリントの信徒への手紙一13章4節)
園 長 塚本吉興
4月、幼稚園では園庭のさくらんぼの木にいっぱいの実がなっていました。外遊び中の子どもたちは、「さくらんぼとって〜!」と先生にねだります。中にはまだ完熟とは言えない実もあって、子どもたちは口をすぼめながら、酸っぱい実を頬張ります。そして、かおり先生と並んで、恒例の「種飛ばし大会」が開催。階段の窓からこの光景を眺めながら、こんな経験ができるのも、ようはならではだなぁ、とほのぼのとした気持ちになります。週が明け、ほとんどの実は取り尽くしたかのように思いましたが、残されていたわずかな実にこそ福がありました。濃い赤色でツヤツヤした実は、ほっぺが落ちるほど甘く、これぞさくらんぼという味わいでした。待っていた甲斐があったのでしょう。心なしかスズメの数も増えていたように思います。
普段、私たちは待つことが苦手です。スーパーのレジでも、前に並んでいる人のカゴをちらっと見て、どの列が早いかを見極めます。でも、早いと思った列に限って、電子マネーでの支払いでスマホの操作に時間がかかる人がいたりします…。常に、時間に追いまくられているので、ただ待つということは苦痛以外の何ものでもないのです。結果、私たちの口癖は「早く・・・」になるのではないでしょうか。「早く食べなさい」、「早くお風呂に入りなさい」、「早く歯を磨きなさい」、「早く寝なさい」。
でも、嬉しいことなら待つのは楽しいのです。毎週一本ろうそくを灯して待つクリスマス、こどもまつりや運動会、遠足にお芋ほりを、指折り数えて待つときは、想像が膨らんで、楽しい気持ちになります。毎朝、幼稚園の職員室では、教職員がお祈りを捧げています。「神さま、おはようございます。今日もとってもいい天気を与えてくださってありがとうございます。これから子どもたちが登園してまいります。どうか来る途中で怪我や事故がありませんように。昨日まで体調を崩していた子も、元気になって幼稚園に来ることができますように。そして、子どもたちが今日も元気に楽しく過ごすことができますように。このお祈りをイエスさまのお名前によってお捧げいたします。アーメン。」こうして、幼稚園の一日が始まります。子どもたちが登園してくるのを待つ時間、それは幼稚園の教職員にとって、待ち遠しく、わくわくするような時なのです。「今日は、あの子はお母さんとすぐに離れられるかな。」、「昨日は鼻水を出していたけれど、今日はもう大丈夫かな。」、「今日こそブランコを自分でこげるようになるかな。」待つことは嬉しいことなのです。
聖書は「愛は忍耐強い」と教えています。子どもが生まれて来る前、子宝を授かったと分かった時から、数カ月、「早く会いたいな♪」と思っていても、その成長はゆっくりゆっくり、健診のたびに大きくなる我が子のエコー写真に期待は膨らんだことでしょう。忙しい日々の中で、忍耐強くあるのは難しいこともあります。でも、子どもは「早く」と急かされなくても、アッと言う間に成長して、大きくなってしまいます。その時には、幼稚園に行く途中、道端にしゃがんで、ダンゴムシと遊んでいた姿さえ、愛おしくなるものです。「早く行こう!」、「ちょっと、待ってよぉ。この葉っぱも拾っていくの。」、「じゃ、一緒に拾おっか。」これからも、ようはのお父さん、お母さんたちが、お子さんたちといっぱい一緒に遊んで、いっぱい絵本を読んで、たくさんのことを一緒に経験して、本当に短い子育ての時期を楽しんでいただければと願います。