2023.09.20 | おたより今月の園だより

9月園だより

ようはファミリー

「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、

キリストの場合も同様である。…一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、

一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」

(ルカによる福音書15章4節)

園 長 塚本吉興

子どもたちが、たくさんの思い出を心に幼稚園に戻ってきます。「夏休みはどうやって過ごしたの?」プールや海、バーベキューにアイスクリーム、おじいちゃんのお家やいとこの家・・・長い夏休みを満喫した子どもたちの笑顔があふれます。わたしの夏休みのハイライトは、初めて北陸新幹線「あさま」に乗って、軽井沢駅から東京駅まで行ったことです。いつもは新幹線と言えば、白とブルーの山陽新幹線700系ですが、E7系のかっこいいこと。惚れ惚れするような先頭車両の形状とカラーリングに鉄道オタクではないわたしですが、思わず写真を高速連射で撮りたくなりました。軽井沢に行ったのは、あるキリスト教主義大学のバイブルキャンプにお話をしに行ったからでした。そこに参加していた学生の一人が、分かち合いの時に言いました。「わたしは家族が大好きで、家族と一緒にいないことが考えられません。だから、このキャンプに来て、昨晩も実はちょっと寂しくて泣きました。」それを聞きながら、幾つになってもホームシックってあるよなぁ、と思いました。それだけ家族と一緒にいることが心地良く、家族が大好きなのです。

リロ&スティッチの映画では「オハナ」と言う言葉が出てきます。これはハワイの言葉で「家族」ですが、映画の中では、「オハナって家族って言う意味。家族は誰一人置いてかないっていう意味」というセリフがあります。少し調べてみると、オハナは単に血縁関係にある家族だけを表すのではなく、血縁以外の親しい人々、また、そうした家族的な絆を支える精神を意味するそうです。だから、オハナというのは、血の繋がった人々だけでなく、親しい間柄にある人々の共同体を表す言葉なのです。

聖書は、体が一つであるように、わたしたちも多くの部分からなっていても、キリストにおいて一つだと言います。足が自分は手ではないから、耳が自分は目ではないから、体の一部分ではない、とは言えないように、わたしたちには体の一部としてそれぞれの働きがあると教えます。その上で、一つの部分が苦しんでいたら、体全体が苦しむし、一つの部分が尊ばれれば、体全体がそれを自分のこととして喜ぶと言うのです。夜中、寝ぼけ眼でトイレに行く際に、戸口に足の小指に足をぶつけるならば、小さい小指ではあっても、体全体が痺れるほどの痛みを味わいます。おいしいインドカレーをナーンと共に口に含んだ時、味覚を感じるのは舌、香りを感じるのは鼻であっても、体全体が「ナ~トゥ・ナ~トゥ」と踊り出したいほどに喜びます。同じ一つの体の一部とされることが、家族=オハナとされることではないかと思います。

養巴幼稚園の子どもたちとご家族、卒園児と保護者、歴代の教職員は、「ようはファミリー」の一員です。共に痛みも喜びも分かち合っていきたいと思います。教会において、お互いを兄弟姉妹と呼び合うのは、教会が神の家族であるからです。幼稚園もまた、同じ意味で神さまの愛に生かされる家族ですし、もっと広くすべての人類はオハナであると言えます。折りしも、ハワイで大きな火災があり、多くの命が失われました。一日も早く、復興がなされますように。困窮している人々、特に子どもたちに助けが届きますように。

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