2024.04.08 | 今月の園だより

1月園だより

「クリスマスは終わらない?」

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」

(マタイによる福音書2章10〜11節)

園長 塚本 吉興

こどもの頃、クリスマスに楽しみだったのは、サンタクロースからのプレゼントでした。教会で守られるクリスマス・イブの礼拝に出席した後、讃美歌「荒野の果てに〜グローリア♪」の余韻の中で、なるべく早く布団に入ります。枕元には靴下を片っぽだけ置いて、でも、その靴下に入りきらないほどのプレゼントを期待しながら・・・。クリスマスの朝は、まだ暗いうちに自然に目が覚め、枕元に置かれたプレゼントを開けます。そして、それを一刻も早く誰かに伝えたいので、姉を起こし、妹を起こし、両親に報告に行きます。「サンタさんが、○○を持ってきてくれたよ!」プレゼントが、合体ロボであったことも、車の模型であったことも、天体望遠鏡であったことも、筆箱であったこともあります。でも、毎年、毎年、クリスマスのプレゼントは、とっても楽しみにしていました。

クリスマスに贈り物を交換したり、こどもにプレゼントをする習慣は、サンタクロースのモデルともなった聖ニコラスが、貧しいこどもたちのためにお金やプレゼントを配って歩いたことから始まるとされますが、もう少し遡るならば、聖書にその起源を見出すことができます。幼稚園のページェントにも登場する「東の博士たち」は、不思議な星に導かれて幼子イエスを訪ねます。そして、幼子を見出すと「ユダヤ人の王」としてお生まれになったお方をひれ伏して拝みます。そして、黄金、乳香、没薬という高価な贈り物を献げたのです。まさに博士たちは、イエスさまの誕生日にプレゼントを持って駆けつけたのです。そして、聖書は、そのイエスさまの誕生そのものが、全ての人へのプレゼントであったと伝えます。野原で羊の番をしていた羊飼いたちに天使は、「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と伝えました。また、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」という聖書の言葉もあります。イエスさまが、世界に対する最高のプレゼントであったのです。だから、クリスマスは嬉しい時であり、世界中でその誕生がお祝いされるのです。

クリスマスにプレゼントを待ち望む思いは、どこでも変わりませんが、スペイン語圏では、こどもたちにプレゼントを持って来るのは、サンタクロースではなく、3人の博士たちです。それも、12月24日の夜ではなくて、1月6日にやってきます。日本では、クリスマスどころかお正月気分もだいぶ抜けてきた頃、クリスマスプレゼントを受け取るこどもたちの笑顔が溢れるのです。サンタさんにしろ、博士にしろ、面白いのは、小さい頃はその存在を信じていて、大きくなると共に信じなくなって、大人になり結婚してこどもが生まれて気がつくと、自分がサンタさんだったということです。自分が受けた恵みをまた他の人に分かち与えていくことを教会は大切にしてきました。「受けるより与える方が幸いである。」という聖書の言葉もあります。今、ウクライナやガザ、能登のこどもたちが待ち望むのは、おもちゃではなく平和です。1日も早く、こどもたちに笑顔が戻りますように。また、養巴のこどもたちが自分の受けた恵みや喜びを分かち合っていく子として育っていきますように。暗闇を照らす光として来られたクリスマスの主イエスが、全ての人を暖かく照らしてくださいますように。

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