2024.05.01 | 今月の園だより
5月園だより
「サクランボの季節に」
「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、
葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」
(詩編1編3節)
園長 塚本 吉興
ゴールデンウィークに入るか入らないかの時期、毎年、幼稚園では「サクランボパーティ」&「種飛ばし大会」が連日開催(?)されます。幼稚園に登園してきた子どもたちは、もし園の門までの足取りは重かったとしても、真っ赤になったサクランボを見るなり、ギアを入れ替えて「行って来まーす」も早々に、サクランボの木の下にいる先生の所に走って行きます。「わたしもちょうだーい!」そして、このサクランボの木、酸っぱおいしい実をもたらしてくれるだけでなく、今、下の砂場で遊ぶ子どもたちのための日陰も作ってくれているのです。丁度、ちゅうりっぷ組の前の日除けシートが交換作業中で、4月のUV光線たっぷりの日差しがジリジリと照り付ける中、サクランボの木が、子どもたちを日焼けや熱中症から守ってくれているのです。そんなことを考えている時、「大きな木」というお話しを思い出しました。リンゴの木と少年は友達です。共に遊び、心を通わせていましたが、少年は青年になり、お金が必要になりました。そこで木は、自分の果実を与えて、「これを売りなさい」と言います。少年は喜んでそうします。しばらくして、大人になった少年の家を建てるために木は枝を全部与えます。また、初老になり、「悲しいので遠くに行きたい」という少年に木は、「わたしの幹で船を作りなさい」と言います。最後に年老いた少年が帰って来て、「疲れたので休む場所が欲しい」と言うと、木は「切り株のわたしに腰をかけなさい」と言います。少年と木は、友達です。木は幸せだった。そんなお話しです。英語の題名は「The Giving Tree(与え続ける木)」木は、自分の身を削り、自分の全てをこの少年に与えました。でも、木はとっても幸せだったのです。与えることは、受けることより、幸いだったのです。
そんな姿は、子育て中の親にも重なるところがあるのではないかと思います。実も、枝も、幹も全部与えた「大きな木」のように、親も我が子に、自分の時間も、力も、労働の実も、みんな与えます。でもそれは強いられてするのでも、イヤイヤそうするのでもありません。子どもに分け与えることは、喜びであり、そうやって成長していく子どもの姿を見ることが嬉しいからです。子どもに与えるだけでなく、子どもからもたくさんの笑顔をもらうのです。
とは言え、木だって水も、日の光も、養分も必要です。与え続けるだけなら、木そのものが弱ってしまいます。聖書は、「主の教えを愛する人」は流れのほとりに植えられた木のようだと語ります。いつも神さまの恵みと愛の流れのほとりにあることで、必要な心の栄養が満たされるのです。同じく親もホッとする時間があればいいなと思います。一杯のコーヒー、草津温泉の入浴剤、サンドイッチマンのYouTube動画、チートデイのチョコアーモンド、心静かにお祈りする時間・・・子育ての日々が神さまの恵みに満たされますように。